ラジオのDJが流した「ホットケーキ」Dragon Ashの話をしようか

kj率いるDragon Ashが日本に残した功績は大きい。ジャンルの枠にとらわれない音楽性。仲間への想い。そして彼らはミクスチャーロックを叫ぶ。

とりあえずホットケーキを「パクリ」とか言うのやめてくれ

Dragon Ashがサンプリングを使って楽曲を作ってるのを、日本人はパクリとか言いたがるけど、
そんな時代遅れなやつらにはお疲れ様とだけ言っておく。
サンプリングがパクリかどうかの議論はここではしない。

「ホットケーキ」を「プリンセスプリンセスのM」のパクリとかいうくだらなすぎること言うのやめてくれ。

絶対にパクってないし、その「パクリ」って何をどう思ってそう言ってるのか説明してくれ。

というかうるせぇ。もう黙ってくれ。おもしろくない。

「ホットケーキ」の収録アルバム、聴き方

収録アルバム「Viva La Revolution」

シークレットトラック「ホットケーキ」

聴き方:track15「Outro」インスト曲が終了後、しばらく無音が流れ、17分20秒からセリフが始まり、曲が聴ける

歌詞の意味

明日はまた晴れるのに 僕の心曇り空のように暗い
キミは部屋を飛び出して いつか見た空へと歩いて行きました
きれいな空 僕を包み眠る日までその笑顔を絶やさないで
いつの日にも同じ空の下で同じ夢を見よう

ダンスパーティーへひとっとび 僕の車キミを乗せて海岸線
パンクしてたこのタイヤ 待ちぼうけでキミはうかない顔でいる
きれいな空 僕を包み眠る日までその笑顔を絶やさないで
いつの日にも同じ空の下で同じ夢を見よう

明日はまた晴れるのに 僕の心曇り空のように暗い
キミは部屋を飛び出して いつか見た空へと歩いて行きました

もしも僕が甘いホットケーキを焼いたとしたら
キミは上手に食べれるかい?
きれいな空 僕を包み眠る日までその笑顔を絶やさないで
いつの日にも同じ空の下で同じ夢を見よう

誰かが死んだ歌とか

恋人や親友との別れの歌とか

解釈は人それぞれでいいと思う

意味は時を越えて、形を変えるかもしれない

どんな思いがあったとしてもいい。

そうだな、うまく説明できないし、ラジオのDJが流した「ホットケーキ」の話をしようか

Dragon Ash、ラジオのDJが流した「ホットケーキ」

1、初めは紛れなくロックバンド。

天使のロック、羊を数えても夜は終わらないなど、
インディーズ時代から初期の楽曲はロックであることを主張した曲が目立つ。
歪ませたギター。シンプルなアレンジ。たたみかけるシャウト。
これこそがDragon Ashのルーツであり、
ミクスチャーロックとはなんですか?という源であり得る。
日本のトップのロックバンドがJ-POPと化した90年代後期、Dragon Ashがその沈黙に音を立てて現れた。
そのカリスマ性と血筋によっても、彼らが世に知れ渡るのに時間はかからなかった。そして、

早すぎた。

2、ヒップホップを日本へ

渋谷系に代表されるヒップホップ、ラップの文化はもともとあったものの、
やはりアンダーグラウンドの域をでないヒップホップというジャンル。
これを日本に知れ渡らせるキーマンの一人は確実にkjだった。
grateful daysでのZEEBRAとのコラボ。
本人も尊敬するラッパーとの共演は、
相乗効果かつ、
feat.(フィーチャリング)という楽曲単位でのコラボも生み出した。
そして、リップスライム、SBKといった2000年初期のヒップホップブームの火付け役ともコラボし、彼らを世に出すインフルエンサーともなった。

kjにとって、その行為は、単純にリスペクトであり、もっと世の中に知って欲しいという想いのもとであったはずだ。
もちろんメリットもあったかも知れないが、
それは後の音楽で問題なく解決される。

当時のkjの想いは計り知れないが、
きっと抱えていた想いは大きく重かったはずだ。

ロックバンドにDJをメンバーとして入れるという新たなスタイルで、異彩は放った。
その分ヒップホップ界からは罵倒された。

ZEEBRAの楽曲もパクリ疑惑が流れた。ZEEBRAから楽曲中でもディスられた。

3、活動初期、テレビ出演の薄い彼らが、当時唯一出演した番組

CDTV(カウントダウンティービー)という番組は当時深夜の30分番組だった。CGのキャラクターしか出てこない、CDの売り上げランキングを垂れ流す。2、3組のスタジオライブの映像が流れる。そんなシンプルな番組だった。
スタジオライブで彼らが披露した「陽はまた昇り繰り返す」が、じわじわと世に伝わっていった。

それまでの激しさとは打って変わって、叙情的なその雰囲気は優しく燃える小さな炎のような。
テンポを落としたラップも、日本人には聞きやすかっただろうか。

しかし、「let yourself go,let my self go」のリリースを最後に、それからしばらくDragon Ashのテレビ露出はなくなる。

マイクを逆さに向けたパフォーマンスは、ファンの記憶、CDTVの歴史、そして日本の音楽の歴史にも著しく刻まれた。

kjのメッセージは、「テレビのスタジオライブ収録は、当て振り(流した音に対して演奏するフリをする演出)である」ということを表現した。日本のメディアに対する彼らなりのディス。
ヒップホップであり、ロックの精神。
だからなに?は私たちが感じるだけだ。
それはつまり、ライブへの拘り。メディアの流す嘘への反抗。
もちろんこれを公共の電波に流した当時も製作陣にも、彼らの何かが響いた結果だろう。
批判の声は相次いだ。

Dragon Ashは生意気だ。そう呼ばれた彼らの時代、この時代があったから、
今でも「viva la revolution」は胸を打つ。

4、「viva la revolution」から始まるロックの革命

アルバムのタイトル曲であり、締めくくりの楽曲。
この曲は今でもライブで歌われる。

優しく落ち着いたメロディとリズムに温かい言葉が流れる。
Dragon Ashはこれからも革命を起こす。
日本人が求める普遍とは違うのかも知れない。
でも変わることこそが、Dragon Ashの普遍であると、そう言っているようにも聞こえる。

5、「life goes on」の衝撃が広がる

前作『LILY OF DA VALLEY』で掴んだ感覚をそのままに、衝撃的なアレンジで圧倒的キャッチー且つ新鮮な楽曲

この曲だけに収まらず、続く「fantasista」はワールドカップタイアップにもなり、日本中を震撼させた。

この頃から、メンバーの増員が行われた。
ギターの正規メンバーとダンサー二人の加入。
ロックバンドにダンサーが入るスタイルもまた革新的であった。

確立されたジャンルがあった。その名も「ミクスチャーロック」
世界にこの言葉はなく、日本でしか通用しない言葉。
彼らはその音楽の発信者となった。

日本に新しい音楽を作り出した。

6、そして、ミクスチャーロックとはなにか

それ以降新たな試みは繰り返す。
ラテンミュージックとロックの融合や
シンプルなフォークサウンド、

Dragon Ashはその音楽性を留まらせることなく走り続けた。

彼らが突き詰めているものはロック。
そのロックを、関わっていくすべての人に届けるため。
音楽を愛してやまない。彼らの想いは果てしない。

7、ふとしたときに流れたラジオのDJがかけた曲

これ以降Dragon Ashの歴史はまだまだ続く。
名曲も数々生まれる。

ある男との別れが来る。

2012年、ベーシストIKUZONEの死去

訃報が流れる中、
深夜かけていたラジオから

さっきまでのアップテンポな雰囲気とはガラっと変わり、DJが言う

「あーなんかなぁーこんな夜はなーいいかなぁーこんな曲かけても」

始まった曲はDragon Ashの「HOT CAKE」

「明日はまた晴れるのに 僕の心曇り空のように暗い
キミは部屋を飛び出して いつか見た空へと歩いて行きました
もしも僕が甘いホットケーキを焼いたとしたら
キミは上手に食べれるかい?
きれいな空 僕を包み眠る日までその笑顔を絶やさないで
いつの日にも同じ空の下で同じ夢を見よう」
HOT CAKE / Dragon Ashより

ちゃんと伝わっていて、それが私たちにも伝わる。